時間の経過とともに、もういないということが、身体の中にじわじわと侵食してきている。もう書き込みされることはない。書き込まれることが普通に思っていたこれまでだが、もうその普通は特別なことに変わった。
まるで猫のような最期にも思えた。猫好きであり、本人の計算した通りだったのかもしれない。愛車のデリカを手放したのは近年。その時にはもう、だいぶ整理が進んでいたのだろう。頭のいい氏らしく、立つ鳥跡を濁さずだったのだろうと想像する
「山の本」「続日本の百名山」等々、氏の書いたものはピカイチであった。手元のそれらを再び読むと、記事内容が入ってこないほどに懐かしい共にした行動が脳裏に浮かぶ。
六ヶ国語が話せる人はいるだろう。でも六ヶ国語を話せて、3700座(すべて違う山)を登っているのは氏ぐらいだろう。トラブルを楽しさに変える思考は氏に学んだ部分。国内に留まらず、世界各国によく出かけていた。それも独りで・・・。そしてまた意外なのだが、外国人のペンフレンドが多い。
追いかけてはいたが、真似しようにも真似られない、ずっと手の届かない位置に居た氏。よくぞ、こんな私に付き合ってくれたと思う。